結婚相手を決めるには、準備期間が必要

恋愛・結婚

結婚とは、夫婦とは、一体何なのでしょう?

私は、夫婦とは、ともにつくりあげるものであって、ステータスや見かけで判断して結婚するものではないと思っています。

いきなり「恋愛」として関係を始めるのではなく、お仕事で知り合った、まずは大人になった・・・・・というようなスタートがあってのプロセスが必要だと思うのです。
結婚相手を決めるときは、何人か候補がいて、友人として相手を見る期間がある程度あって、そのなかからパートナーを決めたほうがいいでしょう。
それなのに、男女の関係がいきなり「恋人同士」としてスタートするというのは、最初から1人に決めようとしているわけですから違和感があります。
相手がどんな人物かを見極めもせず、形だけ恋人同士になって、いきなり一直線に、パートナーと結婚する。これでは、「目的」と「手段」がごっちゃになっています。

「結婚したい」と思ったら、経済的に条件のいい人や社会的地位のようなブランドに注目するよりは、友人期間のうちに自分の中で何かしらの選択肢を持ち、それなりに確かめてから決めればいいのではないでしょうか。
人格、性格、食べ物の好みや嗜好性など、色々な部分を吟味する期間があっていいのではないかと思うのです。


私は住む家を決めるために、70〜80軒の家を見て歩きました。そのなかから、一生住むつもりで、今の家を決めました。

結婚もそれと同じです。一生付き合う人を選ぶという点においては、容姿や経済力、職種やブランド力だけではなく、もっと選択肢を増やす必要がある。そこに至るまでは、別れたり、振られたり、いろいろなことはあるだろうけども、そのなかから決めたほうがいい。

とにかく「結婚」だけを念頭においてお付き合いを始めるような形は、やめたほうがいいと思うのです。

心理学者・フロムの「愛」の基本的要素

あなたは、愛し合うことを、どう捉えていますか?
ドイツ出身の心理学者で、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」に、こんな一節があります。

愛の能動的性質を示しているのは、与えるという要素だけではない。
あらゆる形の愛に共通して、かならずいくつかの基本的な要素が見られる。という事実にも、愛の能動的性質があらわれている。
その要素とは、配慮、責任、尊敬、知である。

しかし多くのカップルは、晴れて結ばれると、すぐに「自分が幸せにしてもらえるかどうか」を考えてしまう。相手にサービスを要求することが増え、相手に与えること、相手を尊敬することはだんだん薄れていってしまうのです。

結婚したから夫や妻は自分のもの、結婚すれば一生「妻」という地位、「夫」という立場にいる、というのは、おかしいように思います。
結婚に伴う責任とは何かと言ったら、彼女なり彼なりのパートナーとして、十分な資質を持ち合わせているかどうかだと思うのです。
その資質を持ち合わせずして、あるいは持とうと努力もせずに、「幸せじゃない」と不平不満をたれるのは、違うと思うのです。理想論すぎますでしょうか?

アドラーは「結婚」をどう定義していたか?

アドラーの著書に「協力」をキーワードにした、次のような定義があります。

愛と結婚は、人間の協力にとって本質的である。
その協力は、2人の幸福のための協力であるだけでなく、人類の幸福のための協力でもある。

アドラーは、結婚におけるカップルの協力が、自分たちの幸福だけでなく他者にも影響を持つこと、そして人類の幸福にまで広がりを持つことを意味していたのです。

また。アドラーの高弟、ルドルフ・ドライカースは、こういう言葉を残しています。

Love is not an emotion. Love is a relationship
愛とは、感情というよりは、うまくいっている人間関係の副産物である


はじめに「愛情」というものがあって後から関係が築枯れるのではなく、うまくいっている人間関係のなかに、いつの間にか愛が生まれる、というわけです。

今、新しい出会いを求めている人にとっては「愛」という目に見えないものがどこかにあって、それを探している感覚かもしれません。特定の相手がいないと、余計に、つかみどころがないのかもしれません。

でも本当は、愛とは、ちゃんとした人間関係が成立してからようやく生まれてくるものなのです。