吉田松陰からの学び:動きながら準備をする

ひとりごと

やろう、とひらめく。
そのとき「いまやろう」と腰を上げるか、「そのうちに」といったん忘れるか。
やろうと思ったときに、なにかきっかけとなる行動を起こす。それができない人は、いつになってもはじめることができない。むしろ次第に「まだ準備ができていない」と言う思い込みの方が強くなっていく。

いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金、やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、その全てが完璧にそろう時期がくると、信じてしまうのだ。

だがいくら準備をしても、それらが事の成否を決めることはない。

いかに素早く一歩目を踏み出せるか。いかに多くの問題点を気付けるか。いかに丁寧に改善できるか。少しでも成功に近づけるために、できることはその工夫しかない。
よく行動する人は、知識は必要最低限でいいと考える。

なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないと知っているからである。

だからよく失敗する。だがそれで「順調」だと思っている。
そのように私たちの脳は、自分の行動をうまく正当化するようにつくられている。

小さくても、「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる。

吉田松陰は、行動につながらない学問を無意味だと考えた。
大切なのは、不安をなくすことではない。

いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか。

そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、休むことなく生み続けることなのである。

逆境に礼を言う

鉄は何度も熱い火の中に入れられて、何度も固い金槌で叩かれて、はじめて名剣に仕上がります。
すばらしい人生の送り方もよく似ています。
何度も繰り返される極めて不都合で、ありがたくない経験の数々が、旅路を美しく輝かせてくれるのです。

不安のない生き方

「先行き不安」に心奪われないようにするためには、あれこれ目移りすることなく、自分という人間を鍛えることに集中して、「全力を出し切りますので、あとは天命におまかせします」という心構えでいるのが、良いと思います。

誰にでもある時期

なにもする気がない。
たまには、そんなときもあるでしょう。
でもそれは後から振り返れば、せいぜい一時的なことじゃないですか。
これからずっと成長していく物語の、たった一部ですよ。
なんでいちいち焦ったり、傷ついたりする必要がありますか